お知らせ 文学フリマ東京に出展します

 

ご無沙汰しております、榊原けいです。

日に日に寒くなってきて、11月も中旬となりました。

料理やお風呂の温かさが一段とうれしい季節に入り、生活に寒暖のメリハリが出ますね。

いい感じです。体に気を付けてやって行きましょう。

さて、今回はふだんの散文とはちがって恐縮なのですが、宣伝のブログ記事です。

 

 

11月23日(木・祝)に、東京流通センターにて第二十五回文学フリマ東京が開催されます。

その文学フリマ東京に、榊原けいの所属するサークル「抒情歌」が出展し、同人誌『グラティア』の第二集を頒布します。

 

 

文学フリマというのは、簡単に説明すると、文学の同人誌即売会です。

小説、詩歌、批評や評論といった文字による作品をものす人々がサークルとして出展し、自分たちで制作した本を頒布する、というイベントです。

 

僕も何度か脚を運んで現場の空気をあじわって来ました。

道中のモノレールからは愛育病院の建築や東京湾岸の広い景色が目に入ります。イベントの入場料も無料となっており、たいへん魅力的です。

会場ではアマチュアからプロの方まで、高校や大学の文芸部の人々からおじいさんおばあさんまで、幅広い層の方々が出展・来場し、交流しています。すてきな場です。

 

 

そこへわれわれ「抒情歌」も出展します。

同人誌ということで、当然ながら表紙画像・内容ともに手作りです。

内容だけでなく装丁や文章のレイアウトなどにも工夫を凝らした魅力的な本になっています。

メンバーは前回の『グラティア』第一集に引き続き、秋津燈太郎さん、竹宮猿麿さんと榊原けいの三人です。

前回と今回で違う点はテーマ設定があるということです。

今回は「現在の芸術から現代を測る」をテーマに執筆者各人が絵画や音楽、映画といった他分野の芸術に触れた作品をそれぞれのスタイルで書いており、独自性のある本になっているかと思われます。

興味を持たれた方はぜひ会場へ足を運んでいただき、手に取ってみてください。

 

 

どんなものが載るのかを詳しくお伝えしたいのですが、近日中に「抒情歌」から情報が公開されますので、詳細は「抒情歌」のTwitterアカウントやブログからの発表をお待ちいただき、チェックしてみてください。

リンクを以下に貼ります。

 

抒情歌 Twitterアカウント

https://twitter.com/GRATIA_LETTERS

 

抒情歌 ブログ

http://gratia.hatenablog.com

 

宣伝は以上です。冒頭でも書きましたが、みなさまお体にお気をつけください。

それでは。

 

 

榊原けい

 

日記03 20170919

 

 本やCDを貸し借りすることは、そのチョイスに貸す側の人間性や相手をどう思っているかがあらわれるだけでなく、そうしたやり取りによって関係が深まっていくようで面白く、また、目立ったデメリットもないため、すごくいいことだと思う。

 今年の三月のこと。卒業と入社を控えた大学の同期の何人かから立て続けにお茶のお誘いがあり、日ごろ自分から誘うことこそあれ人から会おうと言われることのほとんどない僕は、自分もようやっと頼りがいのある友人として認められたのだなと喜び、春一番を追い風にルンルンと出かけた。

 

 お茶の席は、ある種の人生の節目にある同期と楽しい時間であった一方で、貸し借りしていた本を返しあうイベントでもあり、物寂しい感じがした。

 今までのようには会うことが出来なくなるからというお決まりの枕詞は「今度はこの前はなしていたあれを貸してよ」なんていう風に続いてきた貸し借りのリレーが途切れることを意味していたし、自分と相手との関係が様変わりするということでもある。

 やんごとなき事情により留年することが決まっていた自分は、自身を取り巻く人間関係が四月を境に様変わりするということを特に意識していなかっただけに、このある意味で関係を部分的に清算するような連続イベントに大きなショックを受けた。

 

 これが悲しいエピソードなのかどうかは僕自身まだ判別がつかないのだが、その後、働き始めた、もしくは国家資格のために浪人している彼らと再会する機会には恵まれた。

 当たり前のことではあるけれど、久しぶりに会った彼らは以前とは少し変わっていた。帰属集団を根拠にするふるまいの様式や時間の使い方をライフスタイルと呼ぶのなら、それが変わったように感じた。それはきっといいことなのだけど、会話のなかで、かつての波長を共有していたためにもっていた居心地のよさのようなものが部分的にうしなわれてしまったような感じがした。そしてそれは取り戻すことはできないのだとも思った。僕は居場所のあまりない大学生活のなかで彼らとのあいだにわたしていた仲間意識のようなものを好んでいたし、それがなくなったような感じを受けて、少しさびしく思ったのだ。

 自分が依然として大学生の時間感覚を生きている一方で、彼らは社会人の時間感覚を生きているというのが不思議だ。時間の感覚というのは主観的なものだという経験則がある。陸上競技をやっていた頃は、200メートル走のレースを走っていた26秒がクラウチングスタートの台に脚をかけて雷管の合図をまつ数秒間より短くも長くも感じられたし、激しいうつ状態で一日中寝床に身じろぎもせず考え事をしていたときは、健康に毎日を過ごしていたときよりも日が沈むまでをずっと長く感じていた。そしてそのどれもが振り返ると一瞬のようでもある。

 時間感覚がちがうということは、現実観がちがうということでもある。このようにして波長がずれていくのなら、それは悲しいことだと思う。

 

 ところで、僕にはクラブミュージックやアニメソングや歌謡曲といったふうにジャンルを問わないで流行歌をあさっていた時期がある。動機は友達欲しさだ。

 そうやって人との共通点を作りまくって得られたのは、友人ではなく、共通点だけでは人は繋がりを持てないという教訓だった。

 共通点どうしを繋ぐ線がなければ、別々の存在どうしが繋がることはできない。僕は幼稚園に通っていたころ、ほかの人よりもたくさんの指を持つ友達と仲良しだったが、指が五本という共通点で見知らぬ人と盛り上がることはない。

 きょうびではSNSでつながれるともいうが、アカウント同士が紐づけされているだけでは関係が続かないことが経験によってわかってきた。SNSはあくまでプラットフォームなのであって、アカウントを管理している人同士の間をわたしている精神的なつながりのほうは、なんにせよ変わってしまう。思うに、点と線の両方があって初めて関係や居場所は機能するのだ。そしてそれらが別の形になると、関係もまた違った形になる。よりよいものになるにせよ、歪んでしまうにせよ。

 自分もそういう形で誰かのもとを去って来て今の場にいるのだろうし、こういうことは必然的に、繰り返し続いていくんだろうな、としばらく物思いにふけった気付きである。

 

インスタグラム始めました

 

 タイトルにあるとおり、インスタグラムのアカウントを取得して、写真を投稿し始めた。

 

 ひとことに写真と言っても記録写真、芸術写真、日常写真といったようにその目的や志向によっていくつかの分類がされるものらしいのだが、中学校に上がる頃には連絡用にカメラ機能のついた折り畳み式ケータイを持つのが同年代の間でも当たり前になっていた自分は、ある種のデジタル写真ネイティブのような世代にあたるのだろう、半生を振り返ってみても、用途や格式を意識して撮影した記憶はとくになく、気軽にぱしゃぱしゃと写真を撮ってきたように思う。

 

 自分が小学生の時分にはコンビニやスーパーで写ルンですなどの使い捨てカメラがまだ当たり前に販売されており、われわれちびっこでも修学旅行などの一部の学校行事のさいにはそれを買ってもらい持って行くことが許されていたが、かつて通学路にあった大きな招き猫が置かれ、看板に現在時刻と仕上がりの時刻を指す二つの時計が設置されていた写真屋さんも、いまではもうフィルムの中に残っているばかりとなっている。

 

 スマートフォンのカメラ機能やデジタルカメラが普及したいま、フィルムカメラを使う人の割合はかつてよりもその数を減らしたのだろう、あまり見かけなくなった。

 ところで、フィルムカメラにはフィルムを収納するための薄い白色をした円筒形のケースがつきもので、自分はその容器がなんだか好きだった。

 手の平にちょうどおさまる大きさや、半透明でありながらのっぺりとした冷温入り混じった色合いや、キャップを付け外しするさいの吸い付く感触や蓋部分のざらざらした側面、大量生産品然とした非常にシンプルな外見、好きになるにはさまざまな要因があったとは思うが、総合して言えば、あのケースはなんというか、モノとしてフェティッシュなすがたをしているように思う。そして子供時代の自分の使い方もある種のフェチを感じさせるものだった。

 幼い時分、フィルムケースは工作の材料として用いられるだけでなく、朝顔の種やスライムを仕舞うのに使うことができた。ラベリングを施した同じ規格の容器が整列しているさまが、なんだか景色として気持ちがよかったのを覚えている。ごく幼いころには知育玩具のブロックで単色の立方体をひたすらに作っていた過去を持つ一人の小学生に新しい喜びを与えたのかもしれない。

 なんにしても、シンプルで大量生産品然としたそれらの容器には、自分が初めて育てた植物の種子や、子供会の行事で作った好きな色のスライムなど、なにか私的で特別なものが仕舞われていたのだ。

 それはかつてそのケースに入っていたフィルムと同じように、ケースが私的で特別なものの入れ物になっていたということでもあると思う。

 

 デジタル写真の場合は、フィルムに収めるというわけではないわけだけど、スマートフォンのストレージではなく、インスタグラムのページ内にある写真のアイコンをケースに見立てるように、ぱしゃぱしゃやっていけたらいいなと思っている。

 

 

 経緯は省略するけれど、お世話になっている先輩から勧めていただいたことが主なきっかけとして始めた活動なので、楽しみつつ、がんばって続けたいと思います。

 どうぞよろしくお願いします。

 

www.instagram.com

日記02 20170717

 

草稿:7月17日

 

今夜は友人たち(と言うと自分がいちばん年下なので恐縮なのだが)とおしゃべりをして、笑って、とてもいい夜だった。

海外で仕事をしている友人のトマスさん(仮名)夫妻が休暇で帰国していて、何人かで集まって晩御飯を食べた。

おおかたの思い出と同じように、今日がどんな日だったかについての仔細なことはすぐに思い出せなくなってしまうのかもしれないが、今日のことに限って言えば振り返るたびに少しは思い出せるに違いない。

 

テーブルを囲んでみると、初めて出会ったときとは職業、生活様式、恋愛歴、さまざまのことが変化していて、独特の感慨をもたらす眺めがあって、最後に会ってから今日までのあいだに長い時間が流れたように感じられた。お互いに近況の報告や思い出話がやはり盛り上がったけれど、かつてそうだったように最近見た映画や読んだ本の話もなされて、とてもよかった。

 

その席で、トマスさんの奥さんから、「十年後、あなたは何をしていると思うか?」と問いかけられた。この問いかけは、それまでの会話の流れと絡み合って、字面以上の示唆を持っているように僕には感じられた。場の空気や流れを読むことで字面よりずっと意味のある言葉を出せるというのは、とても素敵なことだと思う。そうしたセリフはしばしば、日々のなんでもない出来事を特別な思い出に変えたり、場合によっては考え方やものの見方に大きな影響を与えたりするからだ。

 

 自分のキャリアや半生を振り返るときに思い出されるのは、一部のとくべつ幸福だったり苦しかったりする記憶を除けば人生の節目と呼べるような出来事ばかりだと思う。振り返ったときにあるのは寄り道の跡ではなく歩いてきた道筋だし、その意味で回想はつねに物語の形をとり、それだけに印象的なものごとは色濃く残る。

 その記憶の仕組みを逆手にとって、キャリアや半生といったストーリーについてではなく生活の記憶――なんでもない大切な時間など――を忘れてしまわないための目印を創造する魔術のようにセリフが人の中に残るのなら、自分も十年後までにたくさん撃っておきたいものだと思ったのだった。

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日記01 20170719

 

 今回はタイトルに「記事」とは振っていない。

 あまり肩ひじ張らずに読めるものとして、最近あった出来事を書こうと思っている。

 せんじつ宗教勧誘にあった。

 

 

「では、どうしたものだろうか。死ぬことに対して反対の生成過程を補わずに、この点に関しては自然は不均衡だとしておこうか。それとも、死ぬことに対して、われわれはなにか反対の生成過程を補うべきだろうか」

「どうしても補うべきです」

「どんな生成過程を、か」

「生き返ることです」

 

――プラトンパイドン

 

 

 23時すぎ、アルバイトをあがって電車に乗る前に公園の喫煙所で一休みしていたときのこと。軽いストレッチや水分補給をしながら一服していると、黒ぶち眼鏡をかけてスカイブルーのワイシャツを着た、くたびれたサラリーマン風の小男が近寄ってきて、何やら話しかけてきた。

 そのとき僕はアドレナリンを出すためにイヤホンをつけてかなりのボリュームで音楽を聴いていたから、相手が何を言っているのかわからなかった。

 火を貸してほしいのかと思ってライターを取り出そうとしたが、もう片方の手でイヤホンをはずしてみて聴こえたことには、どうやらそういうわけではないらしい。

 あいさつを交わしてみると、M(仮名)と名乗ったその小男は某鎌倉仏教系の某新興宗教の勧誘をしているのだと言う。なるほどね。噂によれば、メンタルがやられている人間はこの手の草の根布教運動に出くわしやすいというではないか。

 

 

 M氏の話し方は、これまでに僕をお寺の説法デートに誘ってくださった御婦人方とも、マルチ商法のLINEグループに誘ってくださったお兄さんたちとも、都内某所のチャペルでアジア系の留学生に日本語を教え食事会をするらしい団体のお姉さんとも、また別の新興宗教に誘ってくださってこちらが断ったにも関わらず僕の健康や幸せを祈ってくださった老婦人とも、違った雰囲気だった(いずれのお誘いもお断りさせていただいた)。M氏のふるまいはこぢんまりとして、こちらの顔を見ようともしない。気弱な男という感じで、僕は少しだけ親しみがわいた。

「お話聞いてもらえないかなと思って声をかけたんだけど……」

 彼は滑舌が悪くて訛りのつよい、しかし厚みのあるハイトーンボイスで喋った。聞けば青森の出身だという。声も特徴的だけど、カールがかかっているやや傷んだ黒髪のもちぬしで、妙な色気のある小男だった。四十代ぐらいに見える。じっさい、そのぐらいの歳なのだろう。カラオケではキリンジピチカートファイブか、そういう歌をうたうにちがいなかった。

 M氏が自信なさげにモゴモゴと訊ねるので、僕は精神を(ほんの少しだけ)病んでいるのを悟られないよう、ハキハキと返事をした。

「ええ、構いませんよ!」

 僕の返事を聞くと、こちらより15は歳上に見えるその男は一言断りを入れてから、例の滑舌が悪く訛りのつよい、しかし厚みのあるハイトーンボイスで、手にもったパンフレットを読み上げ始めた。

 公園には僕とM氏のほかに、地べたに座り込んで酒を飲んでいる大学生グループや、きれいな目をした二人組のアラブ系男性、子犬を散歩させる年齢不詳の女などがいて、それぞれが今日という一回きりの一日の最後の一時間を思いおもいの仕方で過ごしていた。

 そしてそんな中で僕は、とくべつ興味があるわけではない宗教の勧誘を受けているのだった。

 

 

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 僕はなぜかこの手の勧誘にしばしばあう。それでもって、多くの人が勧誘者の話に聞く耳を持たずに立ち去るものだと知っているし自分がそうした宗教に帰依することはないだろうと思ってもいながらも、なぜか毎回彼らの話をきいてしまう。

 それがなぜなのか不思議で、さっき色々と考えてみたのだけど、おそらく僕は、死後の世界や神の存在といったものを確信させてくれる言説がどこかにあるかもしれない、あったらいいなと心のどこかで期待していて、その可能性のために彼らの話を無視できず聴いてしまうんだと思う。きっとそういうことに違いなかった……。

 M氏は僕がこれまで受けてきた勧誘とは違ったスタイルの勧誘者だった。彼は手にしたパンフレットに書かれている文章を一文字ずつ読み上げたのだった。人生の目的、鎌倉時代の某聖人のことばを独創的に解釈した死後の世界論、お経の効果、聖人の伝説、第三次世界大戦……。

 読み上げている箇所をなぞる指と彼の顔を交互に見つめながら、僕はその話に注意深く耳を傾けた。僕は目の前の相手の信じるものごとをできるだけ尊重したいと思っているし、その教えが僕に信じられるかをちゃんと吟味することが必要だとも思っていたからだ。パンフレット曰く、死後の相(死に顔)が険しくなって体が黒く重くなった者は地獄へ、死に顔が安らかで体が白く軽くなった者は極楽的なところへ行くそうだ……。

 M氏の話は僕に生きる意味や死後の世界について確かなことを教えてくれるものではなかった。彼が話しかけてきたときに吸っていたタバコが灰のかたまりに変わってしばらく経つころ、僕はがっかりして、彼もがっかりして、別れる。

 

 

 M氏と別れて駅へ向かうあいだ、けっきょく、少し歩いたところでまた一服することにした。

 タバコの箱は暗闇色をしていて、パッケージの中央に金色の箔押しでPeaceと書いてあった。「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます。」

 僕の愛した弟は死後、遺体が重たくなった。彼は地獄へ行ったのだろうか。肉体がここにはいないということだけは知っているんだけど、僕にはそれ以外のことはわからない。

 あのMと名乗った妙な色気を漂わす背の低い男がどのような過程を経て入信に至ったのかは不明だけど、彼個人のいくつかの背景は世間話をとおして知ることができた。曰く、仕事の都合で何度も引っ越しを繰り返した過去があるとのことで、23時の公園で僕を勧誘したのも仕事帰りのことだそうだった。直観というか、印象の話だけど、M氏の話下手なりに年上の余裕を演出して「詳しいね」なんて引き気味に相槌を打ちながら話すさまは、不運や人の悪意といった何か目に見えないものによって苦しめられてきた人のようでもあった……。そうでなくても、入信が一般的ではない日本で特定の信仰を決断させるだけの何かを背負っているのだろうと感じさせるものを彼は漂わせていて、僕はそこにとても好感を覚えていた。

 

 

 けっきょくのところ、みんな人生の意味だとか、死後の世界だとかいったことについては客観的で確実なことは何一つ言えないのに違いなく、どんな物事をやるにも把握しておかなくてはいけないはずの目的とか意味とか正体っていうやつを知れないままであることを、自分をだますとか何かの仮説を信じることにしたりするとかいった様々な手口で保留して、何十の年月、何万の昼と夜を過ごすことになる……というように僕には思われる。

 そして、日々のなかでそうした問いの多くは「思春期特有」とか「中二病」とか「親の代わりに生きる意味を与えてくれるものを探している」とか、そういった類の言葉で軽視できるようになるらしい。

 その問いは、冒頭の引用を含めた古今東西の色んな大人たちが考えてきたことのようなので、なかなか普遍的な疑問に思える。このことを問う人たちは、生という全体像も目的も不明のプロジェクトに放り込まれて、何をすべきかわからず、不安で、途方に暮れている……。

 そして、目の前の生活に奔走するうちにそうした問いについて考えたり悩んだりする時間は減ってゆき、ついには生きることと向き合おうとするのはお葬式とお墓参りのときだけになってしまう。

 

 

 とにもかくにも、そうした問いに誰が見ても疑いようがない答えが出せないままだという点においては、僕も、M氏も、公園で騒ぎながら安酒を煽っていた学生たちも、異様にきれいな目をした外国人二人組も、年齢不詳の女もその飼い犬も、一緒のようだった。

 いつのことかはわからないけれど、M氏がこの世を去るときがきたら、その死後の相というやつが安らかであればいいなと思う。

 

 

記事01 一葉

 

「たちまちにぼくは思い知った、ひとつの場所に生まれなかったことの意味を。それを血の中に持たないことが、そこに年寄りたちと埋もれていないことが、何を意味するかを。と言っても、開墾されたことが問題なのではない。現に、榛の茂みならば丘の上にまだいくらも残っていたし、そのなかで自分に出会うこともまだできた。それにぼくだって、あの土手の持主だったら、切りひらいて、玉蜀黍を植えたかもしれない。しかし、それでも、ぼくはいま都会の貸し間と同じ印象を受けてしまった。そこには一日だけ住んでも、また何年住んでもよい。いずれにせよ、引越したあとは蛻の殻となり、誰のものでもなく、死んでしまうのだ。」

――C.パヴェーゼ『月と篝火』

 

 

 地縁も固有の文化もない量産型の住宅街で生まれ、あわや離婚という状況にあった両親をさまざまな仕方で支えながら育った僕にとって、自分の生の意味は大きなテーマの一つだ。

 

 経験したこともないのに信じている仮説がある。人は外界との関係の中で生の意味を築いていくに違いない、ということ。(家という語が建物のことではなく心のよりどころのことを指すのなら、僕はそれを持てずにいたし、自前で建てる能力も持ち合わせていなかったから、他者との親密な関係、それさえあればと強く思っていた。)

 

 人は生まれながらにしていろいろのものと関係を結んでいる。それは故郷や地元といった土地との関係であったり、父や母や兄妹といった家族との関係であったりする。しかし、そういった繋がりが破たんしている人々は何を支柱にして蔓を伸ばすのだろう。我が家がまだ新築のころに買われた植木を見るといい。十分な糧を得られないまま寄る辺なく伸びた細い枝葉は、光を目指した痕跡だけを残して枯れ朽ち、人目につかない物陰で雨風にさらされている。

 

 

 僕が小説を書き始めたのは中学生のころのことだ。

 その頃の生活は、いじめられる学校と、虐待まがいの教育を受ける家庭と、無意識との睨めっこを余儀なくされる悪夢――この三つの間を反復横跳びするようなものだった。そうした暮らしから抜け出すために、所属三年目にさしかかっていた陸上競技部を辞めて、小説を書き始めた。ゴーゴリや芥川といった素敵な先人たちが描いた苦悩する人々は、読者だけに自身の暗闇を語る。それらは長い時間をかけて書かれ未来の子供たちに託されるダイイングメッセージのようなものだ。そうしていると怒られないからという理由で始めた読書が安らぎをくれたのだという皮肉な気づきは、苦しんだ分だけバネのようにエネルギーを与えてくれた。精神の深いところへ潜っていって文章を書いていると満たされる。

 

 そういうわけで、自分が救われてきたように作品を介して人々との関係を結ぶことが、僕にとっての生の意味になるに違いない。もしもあなたが僕の作品を少しでも気に入ってくれたなら、それはとても素晴らしいことだと思う……。

 

 

 精神の病による日常生活に支障をきたす諸々の症状や、裏切りや敗北といったさまざまの屈辱といった運命のお茶目に遭いながらもなんだかんだやって来ることができたのは、作品を通した先人との関係という、ある種のご加護のお陰だと信じることにしている。少なくとも、そういうところから出てきた語り手として、いまこういう文章を書いているつもりなんだ。

 

 生きるのは大変で、その大変さは得られるものと比べると割に合わないものだと思っている。諦めずに生に食らい付いていることが人間の希望だと思っている。

 

 

「生きたいと思う心が欠如している程度では、残念ながら、死にたいと思うには不十分だ。」

――M.ウエルベック『プラットフォーム』

 

 

 そうかもしれない、気どりではなく本気で、僕は自分が自分をだましているのか、正気なのかも、もうわからないでいる。こうして先人たちを引用するのも冒涜ととられるかもしれない。だけど、先人たちの文章はたしかに僕と関わっているし、それに、必死になっていじくり回すことで壊れた人生を人生たらしめようとしていることを恥じたくはない。

 

 

 こういう混乱の中で意識を保って書いたものが別の人と交わって何かしらを与え与えられるっていうことが僕のわずかな喜びだ。それをたくさん噛みしめたいと思っている。

 

 そういう意味で言えば、同人サークル「抒情歌」を立ち上げて『グラティア』を創刊した理由の一つは、僕を含めたあらゆる苦悩者のためでもある。ほかの創設メンバーにもそれぞれに秘めた目的があるのだろうけど、僕に関して言えば、そういうことになるんじゃないかと思う。

 

 ともあれ、「抒情歌」のメンバーや、周囲の人々の支えをお借りすることでようやく日の当たるところに一葉を晒させてもらうことができた。これには関わったり応援してくださったりした人々にどれだけ感謝しても足りるということがない。