日記01 20170719

 

 今回はタイトルに「記事」とは振っていない。

 あまり肩ひじ張らずに読めるものとして、最近あった出来事を書こうと思っている。

 せんじつ宗教勧誘にあった。

 

 

「では、どうしたものだろうか。死ぬことに対して反対の生成過程を補わずに、この点に関しては自然は不均衡だとしておこうか。それとも、死ぬことに対して、われわれはなにか反対の生成過程を補うべきだろうか」

「どうしても補うべきです」

「どんな生成過程を、か」

「生き返ることです」

 

――プラトンパイドン

 

 

 23時すぎ、アルバイトをあがって電車に乗る前に公園の喫煙所で一休みしていたときのこと。軽いストレッチや水分補給をしながら一服していると、黒ぶち眼鏡をかけてスカイブルーのワイシャツを着た、くたびれたサラリーマン風の小男が近寄ってきて、何やら話しかけてきた。

 そのとき僕はアドレナリンを出すためにイヤホンをつけてかなりのボリュームで音楽を聴いていたから、相手が何を言っているのかわからなかった。

 火を貸してほしいのかと思ってライターを取り出そうとしたが、もう片方の手でイヤホンをはずしてみて聴こえたことには、どうやらそういうわけではないらしい。

 あいさつを交わしてみると、M(仮名)と名乗ったその小男は某鎌倉仏教系の某新興宗教の勧誘をしているのだと言う。なるほどね。噂によれば、メンタルがやられている人間はこの手の草の根布教運動に出くわしやすいというではないか。

 

 

 M氏の話し方は、これまでに僕をお寺の説法デートに誘ってくださった御婦人方とも、マルチ商法のLINEグループに誘ってくださったお兄さんたちとも、都内某所のチャペルでアジア系の留学生に日本語を教え食事会をするらしい団体のお姉さんとも、また別の新興宗教に誘ってくださってこちらが断ったにも関わらず僕の健康や幸せを祈ってくださった老婦人とも、違った雰囲気だった(いずれのお誘いもお断りさせていただいた)。M氏のふるまいはこぢんまりとして、こちらの顔を見ようともしない。気弱な男という感じで、僕は少しだけ親しみがわいた。

「お話聞いてもらえないかなと思って声をかけたんだけど……」

 彼は滑舌が悪くて訛りのつよい、しかし厚みのあるハイトーンボイスで喋った。聞けば青森の出身だという。声も特徴的だけど、カールがかかっているやや傷んだ黒髪のもちぬしで、妙な色気のある小男だった。四十代ぐらいに見える。じっさい、そのぐらいの歳なのだろう。カラオケではキリンジピチカートファイブか、そういう歌をうたうにちがいなかった。

 M氏が自信なさげにモゴモゴと訊ねるので、僕は精神を(ほんの少しだけ)病んでいるのを悟られないよう、ハキハキと返事をした。

「ええ、構いませんよ!」

 僕の返事を聞くと、こちらより15は歳上に見えるその男は一言断りを入れてから、例の滑舌が悪く訛りのつよい、しかし厚みのあるハイトーンボイスで、手にもったパンフレットを読み上げ始めた。

 公園には僕とM氏のほかに、地べたに座り込んで酒を飲んでいる大学生グループや、きれいな目をした二人組のアラブ系男性、子犬を散歩させる年齢不詳の女などがいて、それぞれが今日という一回きりの一日の最後の一時間を思いおもいの仕方で過ごしていた。

 そしてそんな中で僕は、とくべつ興味があるわけではない宗教の勧誘を受けているのだった。

 

 

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 僕はなぜかこの手の勧誘にしばしばあう。それでもって、多くの人が勧誘者の話に聞く耳を持たずに立ち去るものだと知っているし自分がそうした宗教に帰依することはないだろうと思ってもいながらも、なぜか毎回彼らの話をきいてしまう。

 それがなぜなのか不思議で、さっき色々と考えてみたのだけど、おそらく僕は、死後の世界や神の存在といったものを確信させてくれる言説がどこかにあるかもしれない、あったらいいなと心のどこかで期待していて、その可能性のために彼らの話を無視できず聴いてしまうんだと思う。きっとそういうことに違いなかった……。

 M氏は僕がこれまで受けてきた勧誘とは違ったスタイルの勧誘者だった。彼は手にしたパンフレットに書かれている文章を一文字ずつ読み上げたのだった。人生の目的、鎌倉時代の某聖人のことばを独創的に解釈した死後の世界論、お経の効果、聖人の伝説、第三次世界大戦……。

 読み上げている箇所をなぞる指と彼の顔を交互に見つめながら、僕はその話に注意深く耳を傾けた。僕は目の前の相手の信じるものごとをできるだけ尊重したいと思っているし、その教えが僕に信じられるかをちゃんと吟味することが必要だとも思っていたからだ。パンフレット曰く、死後の相(死に顔)が険しくなって体が黒く重くなった者は地獄へ、死に顔が安らかで体が白く軽くなった者は極楽的なところへ行くそうだ……。

 M氏の話は僕に生きる意味や死後の世界について確かなことを教えてくれるものではなかった。彼が話しかけてきたときに吸っていたタバコが灰のかたまりに変わってしばらく経つころ、僕はがっかりして、彼もがっかりして、別れる。

 

 

 M氏と別れて駅へ向かうあいだ、けっきょく、少し歩いたところでまた一服することにした。

 タバコの箱は暗闇色をしていて、パッケージの中央に金色の箔押しでPeaceと書いてあった。「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます。」

 僕の愛した弟は死後、遺体が重たくなった。彼は地獄へ行ったのだろうか。肉体がここにはいないということだけは知っているんだけど、僕にはそれ以外のことはわからない。

 あのMと名乗った妙な色気を漂わす背の低い男がどのような過程を経て入信に至ったのかは不明だけど、彼個人のいくつかの背景は世間話をとおして知ることができた。曰く、仕事の都合で何度も引っ越しを繰り返した過去があるとのことで、23時の公園で僕を勧誘したのも仕事帰りのことだそうだった。直観というか、印象の話だけど、M氏の話下手なりに年上の余裕を演出して「詳しいね」なんて引き気味に相槌を打ちながら話すさまは、不運や人の悪意といった何か目に見えないものによって苦しめられてきた人のようでもあった……。そうでなくても、入信が一般的ではない日本で特定の信仰を決断させるだけの何かを背負っているのだろうと感じさせるものを彼は漂わせていて、僕はそこにとても好感を覚えていた。

 

 

 けっきょくのところ、みんな人生の意味だとか、死後の世界だとかいったことについては客観的で確実なことは何一つ言えないのに違いなく、どんな物事をやるにも把握しておかなくてはいけないはずの目的とか意味とか正体っていうやつを知れないままであることを、自分をだますとか何かの仮説を信じることにしたりするとかいった様々な手口で保留して、何十の年月、何万の昼と夜を過ごすことになる……というように僕には思われる。

 そして、日々のなかでそうした問いの多くは「思春期特有」とか「中二病」とか「親の代わりに生きる意味を与えてくれるものを探している」とか、そういった類の言葉で軽視できるようになるらしい。

 その問いは、冒頭の引用を含めた古今東西の色んな大人たちが考えてきたことのようなので、なかなか普遍的な疑問に思える。このことを問う人たちは、生という全体像も目的も不明のプロジェクトに放り込まれて、何をすべきかわからず、不安で、途方に暮れている……。

 そして、目の前の生活に奔走するうちにそうした問いについて考えたり悩んだりする時間は減ってゆき、ついには生きることと向き合おうとするのはお葬式とお墓参りのときだけになってしまう。

 

 

 とにもかくにも、そうした問いに誰が見ても疑いようがない答えが出せないままだという点においては、僕も、M氏も、公園で騒ぎながら安酒を煽っていた学生たちも、異様にきれいな目をした外国人二人組も、年齢不詳の女もその飼い犬も、一緒のようだった。

 いつのことかはわからないけれど、M氏がこの世を去るときがきたら、その死後の相というやつが安らかであればいいなと思う。

 

 

記事01 一葉

 

「たちまちにぼくは思い知った、ひとつの場所に生まれなかったことの意味を。それを血の中に持たないことが、そこに年寄りたちと埋もれていないことが、何を意味するかを。と言っても、開墾されたことが問題なのではない。現に、榛の茂みならば丘の上にまだいくらも残っていたし、そのなかで自分に出会うこともまだできた。それにぼくだって、あの土手の持主だったら、切りひらいて、玉蜀黍を植えたかもしれない。しかし、それでも、ぼくはいま都会の貸し間と同じ印象を受けてしまった。そこには一日だけ住んでも、また何年住んでもよい。いずれにせよ、引越したあとは蛻の殻となり、誰のものでもなく、死んでしまうのだ。」

――C.パヴェーゼ『月と篝火』

 

 

 地縁も固有の文化もない量産型の住宅街で生まれ、あわや離婚という状況にあった両親をさまざまな仕方で支えながら育った僕にとって、自分の生の意味は大きなテーマの一つだ。

 

 経験したこともないのに信じている仮説がある。人は外界との関係の中で生の意味を築いていくに違いない、ということ。(家という語が建物のことではなく心のよりどころのことを指すのなら、僕はそれを持てずにいたし、自前で建てる能力も持ち合わせていなかったから、他者との親密な関係、それさえあればと強く思っていた。)

 

 人は生まれながらにしていろいろのものと関係を結んでいる。それは故郷や地元といった土地との関係であったり、父や母や兄妹といった家族との関係であったりする。しかし、そういった繋がりが破たんしている人々は何を支柱にして蔓を伸ばすのだろう。我が家がまだ新築のころに買われた植木を見るといい。十分な糧を得られないまま寄る辺なく伸びた細い枝葉は、光を目指した痕跡だけを残して枯れ朽ち、人目につかない物陰で雨風にさらされている。

 

 

 僕が小説を書き始めたのは中学生のころのことだ。

 その頃の生活は、いじめられる学校と、虐待まがいの教育を受ける家庭と、無意識との睨めっこを余儀なくされる悪夢――この三つの間を反復横跳びするようなものだった。そうした暮らしから抜け出すために、所属三年目にさしかかっていた陸上競技部を辞めて、小説を書き始めた。ゴーゴリや芥川といった素敵な先人たちが描いた苦悩する人々は、読者だけに自身の暗闇を語る。それらは長い時間をかけて書かれ未来の子供たちに託されるダイイングメッセージのようなものだ。そうしていると怒られないからという理由で始めた読書が安らぎをくれたのだという皮肉な気づきは、苦しんだ分だけバネのようにエネルギーを与えてくれた。精神の深いところへ潜っていって文章を書いていると満たされる。

 

 そういうわけで、自分が救われてきたように作品を介して人々との関係を結ぶことが、僕にとっての生の意味になるに違いない。もしもあなたが僕の作品を少しでも気に入ってくれたなら、それはとても素晴らしいことだと思う……。

 

 

 精神の病による日常生活に支障をきたす諸々の症状や、裏切りや敗北といったさまざまの屈辱といった運命のお茶目に遭いながらもなんだかんだやって来ることができたのは、作品を通した先人との関係という、ある種のご加護のお陰だと信じることにしている。少なくとも、そういうところから出てきた語り手として、いまこういう文章を書いているつもりなんだ。

 

 生きるのは大変で、その大変さは得られるものと比べると割に合わないものだと思っている。諦めずに生に食らい付いていることが人間の希望だと思っている。

 

 

「生きたいと思う心が欠如している程度では、残念ながら、死にたいと思うには不十分だ。」

――M.ウエルベック『プラットフォーム』

 

 

 そうかもしれない、気どりではなく本気で、僕は自分が自分をだましているのか、正気なのかも、もうわからないでいる。こうして先人たちを引用するのも冒涜ととられるかもしれない。だけど、先人たちの文章はたしかに僕と関わっているし、それに、必死になっていじくり回すことで壊れた人生を人生たらしめようとしていることを恥じたくはない。

 

 

 こういう混乱の中で意識を保って書いたものが別の人と交わって何かしらを与え与えられるっていうことが僕のわずかな喜びだ。それをたくさん噛みしめたいと思っている。

 

 そういう意味で言えば、同人サークル「抒情歌」を立ち上げて『グラティア』を創刊した理由の一つは、僕を含めたあらゆる苦悩者のためでもある。ほかの創設メンバーにもそれぞれに秘めた目的があるのだろうけど、僕に関して言えば、そういうことになるんじゃないかと思う。

 

 ともあれ、「抒情歌」のメンバーや、周囲の人々の支えをお借りすることでようやく日の当たるところに一葉を晒させてもらうことができた。これには関わったり応援してくださったりした人々にどれだけ感謝しても足りるということがない。