『自炊録』第二回 パイナップルを捌くために

 

 みなさんは衝動買いというのをしたことがあるだろうか?

 ある人は高価な衣類を、ある人は上質なオーディオ機器を、ある人は女装用品やジョークグッズを……といったように、人は普段なら手を出さないものを衝動的に買うことがあるようだ。かく言う私も衝動にまかせて妙な買い物をしたことがある。今回は主にそのときのことについて書こうかと思っている。

 私がその奇妙な衝動買いに走ったのは今から数年前の夏らしい暑い日だった。

悪夢から目覚めると部屋は蒸し焼き状態で、気分も寝間着もグチャグチャだった。

 この時期の私は留年へと転げ落ち始めており、諸事情から精神的に参っていたため、寝床を抜け出して日中の活動を始めるには一連のウォーミングアップが必要となっていた。この参っていたことが吝嗇家の私が衝動買いに走った理由の一つでもあるので、このころの生活について少し書くことにする。

 頭の中で自分に喝を入れまくって起き上がり遮光カーテンを引き開けると、パソコンでラジオ体操を流し、一通りこなす。しかるのちキッチンへと向かい、フィルターに山盛りの粉で淹れた一杯のコーヒー、冷水での洗顔、自分の体や顔を叩きまくることと……こういった一連の流れを行う。上に並べたようなルーチンをこなせなかった日には、無気力感や思考の混濁感のために寝床へ倒れ込むことになり、眠れるまでの残り時間を叫んだり自分の身体を叩いたり泣いたりといった反応に費やすことになるのだった。

 ともあれその日はウォーミングアップに成功したのだ。気力を活性化させた私は、家から坂道を数分歩いたところにあるスーパーマーケットへと出かけた。

 当時の私にとって、スーパーマーケットを歩き回ることは趣味の一つだった、と言える。それは自炊生活のためという必要性だけでなく、スーパーマーケットにたいする特別な感情のためにも行われていた。

 私はあるとき、ウィリアム・H・マクニールの『世界史』の上巻を読んでからスーパーマーケットに出かけた。こんにちの文明社会が成り立つまでの果てしない道のりを一望した直後の私の目には、多種多様の新鮮な食材が一挙にならべられたスーパーマーケットの眺めがなんだかとても偉大なものの証のように映り、内臓がひっくり返るような感動の感が湧いたのだ。

 そんな体験をしていらい、私は意味もなくスーパーマーケットの中を長時間歩き回るようになっていた。

 この日、店内を二時間ほど歩き回って疲れ始めたころ、私は偶然にもパイナップルを見つけた。見慣れたはずのパイナップルがどうしてか目に新鮮で魅力的なものに映り、思わず足を止めた。

 観察してみると、鱗に覆われたような表皮には棘状の組織がついており、硬質な葉は反り返って天を衝かんばかりである。パイナップルが持つこうしたフォルムは、見る者に痛快な気分をもたらすように思われる。私の持論によれば、果物の外観には産地の風土がもつ雰囲気が表れることになっているのだが、亜熱帯や赤道近い地域でおおく栽培されるパイナップルは、林檎や葡萄に親しんだ和風の感性からすると色もフォルムもやや奇想天外に映る。その奇抜な印象が、憂鬱や無気力と社会性とのダブルバインドに苛まれていた私を強い力で引き付けたのだ。ついでにつけ足すと、鼻を近づけると甘酸っぱくて爽やかな匂いがする点もポイントが高く感じられた。

 日常には適度な刺激が必要だ! 私は腹に力を込め、勢いまかせにパイナップルを一個ひっつかむと、それを買い物かごに押し込んだ。

 しかしその数日後、私はこの衝動に身をゆだねたことを後悔することになる。

 

 帰り道、私の足取りは少し勇ましかった。運動不足のために胸がどきどきし、パイナップルをダイニングテーブルに置くとなんだか満足な心地がした。

 それからの数日は比較的幸福なものだった。

 朝起きる。するとテーブルには元気なパイナップルがある。

 家に帰る。するとテーブルにはゴキゲンなパイナップルがある。

 本に栞を挟む。するとテーブルには……そう、パイナップルがある。

 こういったことは私をたしかに元気づけ、愉快な気持ちにしていたのだ。

 ところが次第に生活の雲行きは怪しくなりだす。パイナップルはインテリアではなく果物なのであり、食べるか捨てるかしなければ腐らせてしまう。

 そういったことわりを思い出させたのは次第に熟れていくパイナップルが放つ匂いである。甘酸っぱい匂いは日に日に勢力範囲を拡大していた。日ごろはどちらかといえば吝嗇家に括られる私を引き付けたパイナップルも、こうなってしまっては厄介者だった。問題はいつもこういうすれ違いから始まる。そして時間は二人を待ってはくれない。いつもそうだった。

 悩んだすえに勇気を出してパイナップルを捌くと決めた私は、とりあえずそいつをまな板に置いてみることにした。

 大きくてほどよい重さ。葉の部分を含めた全長は私の頭より大きく、横倒しにするとまな板をはみ出した。

 願いましては……。

 適当な包丁を取り出し……いやこの包丁ではダメだ。別の包丁を取り出す。これも違う。これも。これも。

 しだいに混乱が起こって来た。

 目の前の迫力みなぎる果実と日ごろ目にする食べやすい形にカットされたパイナップルとがどうやってもつながらない。不思議である。いったいどんな恐ろしい手順を踏まねばならないのだ?

「ど、こ、ここいつをどうにかしなくては」

 どうにかするという言い回しの曖昧さよ!

 家にあるだけの包丁とパイナップルを卓上に並べて目を泳がせる男、それが私だった。

 私はパイナップルの適切な調理法を知らなかったのだ。そういう人間の目に未知の食材は捉えどころのない意味不明なものとして現れるのだった。

 調理に限らず勘所や具体的な手順といったノウハウは偉大な蓄積の産物だ。ノウハウ抜きに自然と渡り合うのは至難の業である。こうなってはもう途方に暮れるほかない。

 もはやつい十分前までの勇ましい気持ちはすっかり萎れてしまい、けっきょくその日は包丁も自分の体もすべて元の場所に戻して寝た。

 

 つい先日、友人や後輩たちと開いている勉強会であることが話題に上った。

 その日は某詩人のある散文詩を扱った会だったのだが、曰く「詩の読み方がわからない」という。

 会の議論は詩の正しい読み方や詩を読むためのリテラシーがあるのではないかという方向に向かった。私たちは詩を正しく読解するためのノウハウを求めたのだった。

 たしかに、文学作品のなかでも詩というのは形式も多様であるし? 語の用法も小説や評論や新聞とは違っているし? 詩が意味不明なものとして現れるという感想もやむを得ないように思われる? たしかに。……たしかに?

 違和感を持ち帰った私は、ベランダでめちゃくちゃに煙草を吸いながら考え直した。これは奇妙なことだ!

 私たちは正解というファンタジーに取り憑かれている!

 正しい生き方! 正しい読み! 正しい食べ方!

 そもそも言葉や社会といったものは人間による発明であり、それらは時代に合わせて流動変化していくものである(もっとも、神が古代の王に言葉を授けていた場合はこの限りではないだろう)のに、作品の解釈や個別の人生に唯一不変の、絶対の、正解があるなんてことがあるのだろうか……? この世の摂理やものの限界が規定する法則は、ある。内角の和とか、リズムとか、屈折率とか、そういうやつだ。

 ところで、私はいちど階段を登れなくなったことがある! 私の家の前には階段があり、そこを登らなくては玄関にたどり着けない。階段とその登り方を脳と体がド忘れしてしまったかのようだった。私は困った。

 そのときの私は「あれ? あれ? かいだん、ええと……あれえ?」と半笑いで数分考えたのち、どうにか玄関にたどり着いた。ゆっくりと階段に覆いかぶさり、四肢をめちゃめちゃに這わせるという、原始的な解決策である。それまでの私は、セメントでできた深夜の階段はざらざらして冷たいのだとは、想像することはできても知りはしなかった。おそらく、野良猫やカラスはこのことを知っている。

 なぜ突然階段の話などはじめたかと言えば、このエピソードが作品の解釈ということに対して何かしらの示唆を持っているように思われたからだ。

 ……難しげな顔をして、聞きかじりの用語を使って、私たちは詩について議論をかわしたさね。そういうことを繰りかえして私たちは死んでいくね。おそらく誰も、この人間界のルールからは出られずに死んでいくね。そうして辿る末路が人間界の中で洗練・発展するか人間界に居場所を見出せずに破滅するかの二つに一つなのは、それが人間として生きるということだからだろうね。(友人たちよ、どうか、本流と本物を混交することのないように。)

 リンゴの切り方が何通りもあるように読みに唯一絶対の正解はなく、私が生きる意味にも、唯一の正解や客観的な評価基準はない、しかし……というのが今の私の考え方なのだ。

 

 さて、そろそろパイナップルをどうにかしなくては。

次の日の私には秘策があった。インターネットである。

 検索エンジンで「パイナップル さばき方」と打ち込めば一撃である。私は数秒のうちにDole社のページにたどり着き、丁寧に記された処理法を読むことができた。

 ノウハウを得てしまいさえすれば後のことはカンタンである。

 しかるのち、私はちょうどよく熟れて食べごろを迎えたパイナップルを四枚に切り分けた。冷蔵庫に保存すると、分け合う相手もいないので数日がけで独り占めにした。パイナップルを丸ごと一個独り占めにすることは私に妙な満足感を与えてくれたが、それは私がずっと求めている満足感とはまた種類がちがうのだった。

 そうして私はパイナップルのない生活に帰った。

 

 衝動買いからの紆余曲折こそあったものの、私は無事にパイナップルにありつくことができた。そのような技術の習得を繰りかえせば、私もよりたくさんの実りにありつけるに違いない。

 パイナップルに限らず自然界のあらゆるものと和解を繰りかえすことでこんにちの食文化や道具、建築といった領野は開拓されてきたのに違いないし、そう思うと一段ずつ階段を築いて登ってきた偉大な先人たちの足跡を解説してくれる本やインターネットといったものの普及がどれだけ素晴らしいことかは想像に余る。

 衝動買いから数年が経ったいま、あいかわらず人生の意味などなく、空は高く、私には心を預けられる相手がいない。安らげる家庭もない。しかし技術の進歩とリンクして発展してきた大きな歩みを想うと力がみなぎるような感じが起り、家を飛び出してスーパーマーケットへと向かえてしまうのだった。

 

『自炊録』第一回 卵を片手で割るために

 

 料理番組やレストランの厨房などを目にすると、ある一つのことがわかる。

 この世には鶏卵を片手で割れる人間が存在するということだ。

 卵を割るという行為は基本的に料理のさいにしか行われないため、卵を片手で割れるということはそれなりに料理に習熟していることの証左だとみなしてもよいだろう。

 料理人があらかじめ用意していた卵を一歩のステップの間に持ち上げ、ぶつけ、割り、フライパンに落とす、殻をゴミ袋へ投げ入れる、というような一連の動きが流れるさまは鮮やかに映る。そういった洗練された動作を見ると、そこへ至る道のりを歩んだ人への敬意と驚きが湧いてくるものだ。そして素晴らしいところに至った先達というのは希望や勇気を与えてくれる。

 

 鮮やかな動きには、僕たちにあこがれの念を抱かせるものがある。

 鮮やかな動きというのはよい。

 人は眠っていない時間のほとんどを、グラスを持ち上げる、冷蔵庫を開ける、便座に座る、といった行為に費やしている。しかしそういった行為のうちのいったいどれだけが鮮やかな動きたりえているだろうか?

 日常生活を振り返ってみると、僕の行為の多くは、コップを倒して飲み物をぶちまける、段差につまずいてケガを負う、タンスの角に脚の小指をぶつける、誘惑に負けて爪を深く切りすぎる、といった風な無様な失態だ。僕が人並外れたドジでない限り、多くの人の生活もまたそのようなものではなかろうか。(そんなある種の人間らしい失態を笑いや安心に変えられる仲間があなたの傍にいるのなら素晴らしいと思う)

 

 無様な行為の反対のものを見たいときはユーチューブが役に立つ。

 紙くずをゴミ箱へと投げ入れるミラクルシュートや熟練した料理人の超絶技巧、あるいはスポーツ選手のスーパープレイといったものがこの手の動画投稿サイトには大量にアップロードされている。そして僕らはそういった瞬間を好きなだけリピートして楽しむことが出来る。これらの動きは驚きや尊敬の念を起こすだけでなく、見ていて直観的に気持ちがいいものだ。無駄のない軌跡は美しく、紙くずのミラクルシュートは偶然や試行回数の産物であるとしても、スゴ技や職人芸といったものには僕たちを喜ばせる性質がある。

 

 先に説明したような、見た人を晴れやかな気持ちにさせる鮮やかな動き、そういうものに僕が目をつけたのは中二病真っ盛りの中学三年生ぐらいの頃のことだ。

 当時の僕は日常生活にあふれる行為のうちで技に出来そうな動きを見つけ出しては磨くということに取り憑かれていて、回せそうなものであればペンでも歯ブラシでもハサミでもなんだって回していたし、誰も見ていないところではムーンウォークやロボットダンスの練習をしていた。さらに言えば、行く手にちょうどいい高さの障害物があれば誰よりも美しいフォームで飛び越えていた。こういった日常の場面で使える隠し芸が周りの人々に驚きや楽しみを与えるのだと信じているのだ。ただ、今ではそういった技は必要な時にしか見せないことにしている。磨いた技は日ごろ見せないからこそ貴重なシーンとなり輝くからだ。

 そして、そうやって会得した技のなかでもっとも実用性に長けていたのが、卵を片手で割ることだった。

 

 当時は「料理ができる男はモテる」という噂がどこからともなく青少年たちの耳に入っていたうえ、ゼロ年代も後半にさしかかっていた中でいわゆる「家族の不在」問題の副産物としてラブコメ作品の主人公たちの家事スキル所有率が目に見えて上がっていた(メジャーな例としては『とらドラ!』や『ニセコイ』などを想像するとわかりやすいかと思う。)。

 そしてそうした環境にいらぬ触発をうけた僕は自炊に手を出すことになる。(この自炊をめぐる格闘はまた別のお話というやつである。)

 何個もの卵をホットケーキや卵焼きに変えて得られた重大な知見は二つ。

 ひとつ目は、卵を片手で割るところを見せる相手がいないこと。

 ふたつ目は、卵を片手で割れるようになっても料理が上手くなるわけではないということ。

 

 かくして僕の青い小技研究は実際の現実というやつの前に無様にも敗北したわけだが、鮮やかな動きへの憧れは尽きることがなく、最近はいざという時のためにスモークリングの練習をしている。

 適切なタイミングで動作が美しい軌跡を描いたなら、その瞬間はきっときらきらと輝き、そして傍にいる人との特別な空間を演出してくれるのだ。

 

 重大な教訓を発表したところで、せっかくなので卵を片手で割るための手順を大雑把に解説してこの記事の締めくくりとしたい。

 

1.まず手に対して横向きになるように卵を持つ。(※そのさい、卵を持つ手と卵が一体になっていなければいけない。指で掌を掻くような一体感である。)

2.卵を持ったら、卵の真ん中あたりを固いものにぶつけてほどよいヒビを入れる。

3.ヒビを入れたら、卵をやさしく握り、ヒビで分断された片側を親指、人差し指、中指で掴み、掌を支点にしてもう片側から引き離す。

 

 以上が卵を片手で割るための大まかな手順だ。僕の文章では何を言っているかわからないかもしれないが、得てしてコツというものは言語化しづらいものであるし、練習を繰り返すうちにあなたの手が教えてくれるだろうから安心してほしい。

 このどうしようもない文章を読んでいるあなたの暮らしにほんの僅かでもにぎわいが加われば幸いである。

 それでは。

 

お知らせ 文学フリマ東京に出展します

 

ご無沙汰しております、榊原けいです。

日に日に寒くなってきて、11月も中旬となりました。

料理やお風呂の温かさが一段とうれしい季節に入り、生活に寒暖のメリハリが出ますね。

いい感じです。体に気を付けてやって行きましょう。

さて、今回はふだんの散文とはちがって恐縮なのですが、宣伝のブログ記事です。

 

 

11月23日(木・祝)に、東京流通センターにて第二十五回文学フリマ東京が開催されます。

その文学フリマ東京に、榊原けいの所属するサークル「抒情歌」が出展し、同人誌『グラティア』の第二集を頒布します。

 

 

文学フリマというのは、簡単に説明すると、文学の同人誌即売会です。

小説、詩歌、批評や評論といった文字による作品をものす人々がサークルとして出展し、自分たちで制作した本を頒布する、というイベントです。

 

僕も何度か脚を運んで現場の空気をあじわって来ました。

道中のモノレールからは愛育病院の建築や東京湾岸の広い景色が目に入ります。イベントの入場料も無料となっており、たいへん魅力的です。

会場ではアマチュアからプロの方まで、高校や大学の文芸部の人々からおじいさんおばあさんまで、幅広い層の方々が出展・来場し、交流しています。すてきな場です。

 

 

そこへわれわれ「抒情歌」も出展します。

同人誌ということで、当然ながら表紙画像・内容ともに手作りです。

内容だけでなく装丁や文章のレイアウトなどにも工夫を凝らした魅力的な本になっています。

メンバーは前回の『グラティア』第一集に引き続き、秋津燈太郎さん、竹宮猿麿さんと榊原けいの三人です。

前回と今回で違う点はテーマ設定があるということです。

今回は「現在の芸術から現代を測る」をテーマに執筆者各人が絵画や音楽、映画といった他分野の芸術に触れた作品をそれぞれのスタイルで書いており、独自性のある本になっているかと思われます。

興味を持たれた方はぜひ会場へ足を運んでいただき、手に取ってみてください。

 

 

どんなものが載るのかを詳しくお伝えしたいのですが、近日中に「抒情歌」から情報が公開されますので、詳細は「抒情歌」のTwitterアカウントやブログからの発表をお待ちいただき、チェックしてみてください。

リンクを以下に貼ります。

 

抒情歌 Twitterアカウント

https://twitter.com/GRATIA_LETTERS

 

抒情歌 ブログ

http://gratia.hatenablog.com

 

宣伝は以上です。冒頭でも書きましたが、みなさまお体にお気をつけください。

それでは。

 

 

榊原けい

 

日記03 20170919

 

 本やCDを貸し借りすることは、そのチョイスに貸す側の人間性や相手をどう思っているかがあらわれるだけでなく、そうしたやり取りによって関係が深まっていくようで面白く、また、目立ったデメリットもないため、すごくいいことだと思う。

 今年の三月のこと。卒業と入社を控えた大学の同期の何人かから立て続けにお茶のお誘いがあり、日ごろ自分から誘うことこそあれ人から会おうと言われることのほとんどない僕は、自分もようやっと頼りがいのある友人として認められたのだなと喜び、春一番を追い風にルンルンと出かけた。

 

 お茶の席は、ある種の人生の節目にある同期と楽しい時間であった一方で、貸し借りしていた本を返しあうイベントでもあり、物寂しい感じがした。

 今までのようには会うことが出来なくなるからというお決まりの枕詞は「今度はこの前はなしていたあれを貸してよ」なんていう風に続いてきた貸し借りのリレーが途切れることを意味していたし、自分と相手との関係が様変わりするということでもある。

 やんごとなき事情により留年することが決まっていた自分は、自身を取り巻く人間関係が四月を境に様変わりするということを特に意識していなかっただけに、このある意味で関係を部分的に清算するような連続イベントに大きなショックを受けた。

 

 これが悲しいエピソードなのかどうかは僕自身まだ判別がつかないのだが、その後、働き始めた、もしくは国家資格のために浪人している彼らと再会する機会には恵まれた。

 当たり前のことではあるけれど、久しぶりに会った彼らは以前とは少し変わっていた。帰属集団を根拠にするふるまいの様式や時間の使い方をライフスタイルと呼ぶのなら、それが変わったように感じた。それはきっといいことなのだけど、会話のなかで、かつての波長を共有していたためにもっていた居心地のよさのようなものが部分的にうしなわれてしまったような感じがした。そしてそれは取り戻すことはできないのだとも思った。僕は居場所のあまりない大学生活のなかで彼らとのあいだにわたしていた仲間意識のようなものを好んでいたし、それがなくなったような感じを受けて、少しさびしく思ったのだ。

 自分が依然として大学生の時間感覚を生きている一方で、彼らは社会人の時間感覚を生きているというのが不思議だ。時間の感覚というのは主観的なものだという経験則がある。陸上競技をやっていた頃は、200メートル走のレースを走っていた26秒がクラウチングスタートの台に脚をかけて雷管の合図をまつ数秒間より短くも長くも感じられたし、激しいうつ状態で一日中寝床に身じろぎもせず考え事をしていたときは、健康に毎日を過ごしていたときよりも日が沈むまでをずっと長く感じていた。そしてそのどれもが振り返ると一瞬のようでもある。

 時間感覚がちがうということは、現実観がちがうということでもある。このようにして波長がずれていくのなら、それは悲しいことだと思う。

 

 ところで、僕にはクラブミュージックやアニメソングや歌謡曲といったふうにジャンルを問わないで流行歌をあさっていた時期がある。動機は友達欲しさだ。

 そうやって人との共通点を作りまくって得られたのは、友人ではなく、共通点だけでは人は繋がりを持てないという教訓だった。

 共通点どうしを繋ぐ線がなければ、別々の存在どうしが繋がることはできない。僕は幼稚園に通っていたころ、ほかの人よりもたくさんの指を持つ友達と仲良しだったが、指が五本という共通点で見知らぬ人と盛り上がることはない。

 きょうびではSNSでつながれるともいうが、アカウント同士が紐づけされているだけでは関係が続かないことが経験によってわかってきた。SNSはあくまでプラットフォームなのであって、アカウントを管理している人同士の間をわたしている精神的なつながりのほうは、なんにせよ変わってしまう。思うに、点と線の両方があって初めて関係や居場所は機能するのだ。そしてそれらが別の形になると、関係もまた違った形になる。よりよいものになるにせよ、歪んでしまうにせよ。

 自分もそういう形で誰かのもとを去って来て今の場にいるのだろうし、こういうことは必然的に、繰り返し続いていくんだろうな、としばらく物思いにふけった気付きである。

 

インスタグラム始めました

 

 タイトルにあるとおり、インスタグラムのアカウントを取得して、写真を投稿し始めた。

 

 ひとことに写真と言っても記録写真、芸術写真、日常写真といったようにその目的や志向によっていくつかの分類がされるものらしいのだが、中学校に上がる頃には連絡用にカメラ機能のついた折り畳み式ケータイを持つのが同年代の間でも当たり前になっていた自分は、ある種のデジタル写真ネイティブのような世代にあたるのだろう、半生を振り返ってみても、用途や格式を意識して撮影した記憶はとくになく、気軽にぱしゃぱしゃと写真を撮ってきたように思う。

 

 自分が小学生の時分にはコンビニやスーパーで写ルンですなどの使い捨てカメラがまだ当たり前に販売されており、われわれちびっこでも修学旅行などの一部の学校行事のさいにはそれを買ってもらい持って行くことが許されていたが、かつて通学路にあった大きな招き猫が置かれ、看板に現在時刻と仕上がりの時刻を指す二つの時計が設置されていた写真屋さんも、いまではもうフィルムの中に残っているばかりとなっている。

 

 スマートフォンのカメラ機能やデジタルカメラが普及したいま、フィルムカメラを使う人の割合はかつてよりもその数を減らしたのだろう、あまり見かけなくなった。

 ところで、フィルムカメラにはフィルムを収納するための薄い白色をした円筒形のケースがつきもので、自分はその容器がなんだか好きだった。

 手の平にちょうどおさまる大きさや、半透明でありながらのっぺりとした冷温入り混じった色合いや、キャップを付け外しするさいの吸い付く感触や蓋部分のざらざらした側面、大量生産品然とした非常にシンプルな外見、好きになるにはさまざまな要因があったとは思うが、総合して言えば、あのケースはなんというか、モノとしてフェティッシュなすがたをしているように思う。そして子供時代の自分の使い方もある種のフェチを感じさせるものだった。

 幼い時分、フィルムケースは工作の材料として用いられるだけでなく、朝顔の種やスライムを仕舞うのに使うことができた。ラベリングを施した同じ規格の容器が整列しているさまが、なんだか景色として気持ちがよかったのを覚えている。ごく幼いころには知育玩具のブロックで単色の立方体をひたすらに作っていた過去を持つ一人の小学生に新しい喜びを与えたのかもしれない。

 なんにしても、シンプルで大量生産品然としたそれらの容器には、自分が初めて育てた植物の種子や、子供会の行事で作った好きな色のスライムなど、なにか私的で特別なものが仕舞われていたのだ。

 それはかつてそのケースに入っていたフィルムと同じように、ケースが私的で特別なものの入れ物になっていたということでもあると思う。

 

 デジタル写真の場合は、フィルムに収めるというわけではないわけだけど、スマートフォンのストレージではなく、インスタグラムのページ内にある写真のアイコンをケースに見立てるように、ぱしゃぱしゃやっていけたらいいなと思っている。

 

 

 経緯は省略するけれど、お世話になっている先輩から勧めていただいたことが主なきっかけとして始めた活動なので、楽しみつつ、がんばって続けたいと思います。

 どうぞよろしくお願いします。

 

www.instagram.com

日記02 20170717

 

草稿:7月17日

 

今夜は友人たち(と言うと自分がいちばん年下なので恐縮なのだが)とおしゃべりをして、笑って、とてもいい夜だった。

海外で仕事をしている友人のトマスさん(仮名)夫妻が休暇で帰国していて、何人かで集まって晩御飯を食べた。

おおかたの思い出と同じように、今日がどんな日だったかについての仔細なことはすぐに思い出せなくなってしまうのかもしれないが、今日のことに限って言えば振り返るたびに少しは思い出せるに違いない。

 

テーブルを囲んでみると、初めて出会ったときとは職業、生活様式、恋愛歴、さまざまのことが変化していて、独特の感慨をもたらす眺めがあって、最後に会ってから今日までのあいだに長い時間が流れたように感じられた。お互いに近況の報告や思い出話がやはり盛り上がったけれど、かつてそうだったように最近見た映画や読んだ本の話もなされて、とてもよかった。

 

その席で、トマスさんの奥さんから、「十年後、あなたは何をしていると思うか?」と問いかけられた。この問いかけは、それまでの会話の流れと絡み合って、字面以上の示唆を持っているように僕には感じられた。場の空気や流れを読むことで字面よりずっと意味のある言葉を出せるというのは、とても素敵なことだと思う。そうしたセリフはしばしば、日々のなんでもない出来事を特別な思い出に変えたり、場合によっては考え方やものの見方に大きな影響を与えたりするからだ。

 

 自分のキャリアや半生を振り返るときに思い出されるのは、一部のとくべつ幸福だったり苦しかったりする記憶を除けば人生の節目と呼べるような出来事ばかりだと思う。振り返ったときにあるのは寄り道の跡ではなく歩いてきた道筋だし、その意味で回想はつねに物語の形をとり、それだけに印象的なものごとは色濃く残る。

 その記憶の仕組みを逆手にとって、キャリアや半生といったストーリーについてではなく生活の記憶――なんでもない大切な時間など――を忘れてしまわないための目印を創造する魔術のようにセリフが人の中に残るのなら、自分も十年後までにたくさん撃っておきたいものだと思ったのだった。

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日記01 20170719

 

 今回はタイトルに「記事」とは振っていない。

 あまり肩ひじ張らずに読めるものとして、最近あった出来事を書こうと思っている。

 せんじつ宗教勧誘にあった。

 

 

「では、どうしたものだろうか。死ぬことに対して反対の生成過程を補わずに、この点に関しては自然は不均衡だとしておこうか。それとも、死ぬことに対して、われわれはなにか反対の生成過程を補うべきだろうか」

「どうしても補うべきです」

「どんな生成過程を、か」

「生き返ることです」

 

――プラトンパイドン

 

 

 23時すぎ、アルバイトをあがって電車に乗る前に公園の喫煙所で一休みしていたときのこと。軽いストレッチや水分補給をしながら一服していると、黒ぶち眼鏡をかけてスカイブルーのワイシャツを着た、くたびれたサラリーマン風の小男が近寄ってきて、何やら話しかけてきた。

 そのとき僕はアドレナリンを出すためにイヤホンをつけてかなりのボリュームで音楽を聴いていたから、相手が何を言っているのかわからなかった。

 火を貸してほしいのかと思ってライターを取り出そうとしたが、もう片方の手でイヤホンをはずしてみて聴こえたことには、どうやらそういうわけではないらしい。

 あいさつを交わしてみると、M(仮名)と名乗ったその小男は某鎌倉仏教系の某新興宗教の勧誘をしているのだと言う。なるほどね。噂によれば、メンタルがやられている人間はこの手の草の根布教運動に出くわしやすいというではないか。

 

 

 M氏の話し方は、これまでに僕をお寺の説法デートに誘ってくださった御婦人方とも、マルチ商法のLINEグループに誘ってくださったお兄さんたちとも、都内某所のチャペルでアジア系の留学生に日本語を教え食事会をするらしい団体のお姉さんとも、また別の新興宗教に誘ってくださってこちらが断ったにも関わらず僕の健康や幸せを祈ってくださった老婦人とも、違った雰囲気だった(いずれのお誘いもお断りさせていただいた)。M氏のふるまいはこぢんまりとして、こちらの顔を見ようともしない。気弱な男という感じで、僕は少しだけ親しみがわいた。

「お話聞いてもらえないかなと思って声をかけたんだけど……」

 彼は滑舌が悪くて訛りのつよい、しかし厚みのあるハイトーンボイスで喋った。聞けば青森の出身だという。声も特徴的だけど、カールがかかっているやや傷んだ黒髪のもちぬしで、妙な色気のある小男だった。四十代ぐらいに見える。じっさい、そのぐらいの歳なのだろう。カラオケではキリンジピチカートファイブか、そういう歌をうたうにちがいなかった。

 M氏が自信なさげにモゴモゴと訊ねるので、僕は精神を(ほんの少しだけ)病んでいるのを悟られないよう、ハキハキと返事をした。

「ええ、構いませんよ!」

 僕の返事を聞くと、こちらより15は歳上に見えるその男は一言断りを入れてから、例の滑舌が悪く訛りのつよい、しかし厚みのあるハイトーンボイスで、手にもったパンフレットを読み上げ始めた。

 公園には僕とM氏のほかに、地べたに座り込んで酒を飲んでいる大学生グループや、きれいな目をした二人組のアラブ系男性、子犬を散歩させる年齢不詳の女などがいて、それぞれが今日という一回きりの一日の最後の一時間を思いおもいの仕方で過ごしていた。

 そしてそんな中で僕は、とくべつ興味があるわけではない宗教の勧誘を受けているのだった。

 

 

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 僕はなぜかこの手の勧誘にしばしばあう。それでもって、多くの人が勧誘者の話に聞く耳を持たずに立ち去るものだと知っているし自分がそうした宗教に帰依することはないだろうと思ってもいながらも、なぜか毎回彼らの話をきいてしまう。

 それがなぜなのか不思議で、さっき色々と考えてみたのだけど、おそらく僕は、死後の世界や神の存在といったものを確信させてくれる言説がどこかにあるかもしれない、あったらいいなと心のどこかで期待していて、その可能性のために彼らの話を無視できず聴いてしまうんだと思う。きっとそういうことに違いなかった……。

 M氏は僕がこれまで受けてきた勧誘とは違ったスタイルの勧誘者だった。彼は手にしたパンフレットに書かれている文章を一文字ずつ読み上げたのだった。人生の目的、鎌倉時代の某聖人のことばを独創的に解釈した死後の世界論、お経の効果、聖人の伝説、第三次世界大戦……。

 読み上げている箇所をなぞる指と彼の顔を交互に見つめながら、僕はその話に注意深く耳を傾けた。僕は目の前の相手の信じるものごとをできるだけ尊重したいと思っているし、その教えが僕に信じられるかをちゃんと吟味することが必要だとも思っていたからだ。パンフレット曰く、死後の相(死に顔)が険しくなって体が黒く重くなった者は地獄へ、死に顔が安らかで体が白く軽くなった者は極楽的なところへ行くそうだ……。

 M氏の話は僕に生きる意味や死後の世界について確かなことを教えてくれるものではなかった。彼が話しかけてきたときに吸っていたタバコが灰のかたまりに変わってしばらく経つころ、僕はがっかりして、彼もがっかりして、別れる。

 

 

 M氏と別れて駅へ向かうあいだ、けっきょく、少し歩いたところでまた一服することにした。

 タバコの箱は暗闇色をしていて、パッケージの中央に金色の箔押しでPeaceと書いてあった。「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます。」

 僕の愛した弟は死後、遺体が重たくなった。彼は地獄へ行ったのだろうか。肉体がここにはいないということだけは知っているんだけど、僕にはそれ以外のことはわからない。

 あのMと名乗った妙な色気を漂わす背の低い男がどのような過程を経て入信に至ったのかは不明だけど、彼個人のいくつかの背景は世間話をとおして知ることができた。曰く、仕事の都合で何度も引っ越しを繰り返した過去があるとのことで、23時の公園で僕を勧誘したのも仕事帰りのことだそうだった。直観というか、印象の話だけど、M氏の話下手なりに年上の余裕を演出して「詳しいね」なんて引き気味に相槌を打ちながら話すさまは、不運や人の悪意といった何か目に見えないものによって苦しめられてきた人のようでもあった……。そうでなくても、入信が一般的ではない日本で特定の信仰を決断させるだけの何かを背負っているのだろうと感じさせるものを彼は漂わせていて、僕はそこにとても好感を覚えていた。

 

 

 けっきょくのところ、みんな人生の意味だとか、死後の世界だとかいったことについては客観的で確実なことは何一つ言えないのに違いなく、どんな物事をやるにも把握しておかなくてはいけないはずの目的とか意味とか正体っていうやつを知れないままであることを、自分をだますとか何かの仮説を信じることにしたりするとかいった様々な手口で保留して、何十の年月、何万の昼と夜を過ごすことになる……というように僕には思われる。

 そして、日々のなかでそうした問いの多くは「思春期特有」とか「中二病」とか「親の代わりに生きる意味を与えてくれるものを探している」とか、そういった類の言葉で軽視できるようになるらしい。

 その問いは、冒頭の引用を含めた古今東西の色んな大人たちが考えてきたことのようなので、なかなか普遍的な疑問に思える。このことを問う人たちは、生という全体像も目的も不明のプロジェクトに放り込まれて、何をすべきかわからず、不安で、途方に暮れている……。

 そして、目の前の生活に奔走するうちにそうした問いについて考えたり悩んだりする時間は減ってゆき、ついには生きることと向き合おうとするのはお葬式とお墓参りのときだけになってしまう。

 

 

 とにもかくにも、そうした問いに誰が見ても疑いようがない答えが出せないままだという点においては、僕も、M氏も、公園で騒ぎながら安酒を煽っていた学生たちも、異様にきれいな目をした外国人二人組も、年齢不詳の女もその飼い犬も、一緒のようだった。

 いつのことかはわからないけれど、M氏がこの世を去るときがきたら、その死後の相というやつが安らかであればいいなと思う。