記事01 一葉

 

「たちまちにぼくは思い知った、ひとつの場所に生まれなかったことの意味を。それを血の中に持たないことが、そこに年寄りたちと埋もれていないことが、何を意味するかを。と言っても、開墾されたことが問題なのではない。現に、榛の茂みならば丘の上にまだいくらも残っていたし、そのなかで自分に出会うこともまだできた。それにぼくだって、あの土手の持主だったら、切りひらいて、玉蜀黍を植えたかもしれない。しかし、それでも、ぼくはいま都会の貸し間と同じ印象を受けてしまった。そこには一日だけ住んでも、また何年住んでもよい。いずれにせよ、引越したあとは蛻の殻となり、誰のものでもなく、死んでしまうのだ。」

――C.パヴェーゼ『月と篝火』

 

 

 地縁も固有の文化もない量産型の住宅街で生まれ、あわや離婚という状況にあった両親をさまざまな仕方で支えながら育った僕にとって、自分の生の意味は大きなテーマの一つだ。

 

 経験したこともないのに信じている仮説がある。人は外界との関係の中で生の意味を築いていくに違いない、ということ。(家という語が建物のことではなく心のよりどころのことを指すのなら、僕はそれを持てずにいたし、自前で建てる能力も持ち合わせていなかったから、他者との親密な関係、それさえあればと強く思っていた。)

 

 人は生まれながらにしていろいろのものと関係を結んでいる。それは故郷や地元といった土地との関係であったり、父や母や兄妹といった家族との関係であったりする。しかし、そういった繋がりが破たんしている人々は何を支柱にして蔓を伸ばすのだろう。我が家がまだ新築のころに買われた植木を見るといい。十分な糧を得られないまま寄る辺なく伸びた細い枝葉は、光を目指した痕跡だけを残して枯れ朽ち、人目につかない物陰で雨風にさらされている。

 

 

 僕が小説を書き始めたのは中学生のころのことだ。

 その頃の生活は、いじめられる学校と、虐待まがいの教育を受ける家庭と、無意識との睨めっこを余儀なくされる悪夢――この三つの間を反復横跳びするようなものだった。そうした暮らしから抜け出すために、所属三年目にさしかかっていた陸上競技部を辞めて、小説を書き始めた。ゴーゴリや芥川といった素敵な先人たちが描いた苦悩する人々は、読者だけに自身の暗闇を語る。それらは長い時間をかけて書かれ未来の子供たちに託されるダイイングメッセージのようなものだ。そうしていると怒られないからという理由で始めた読書が安らぎをくれたのだという皮肉な気づきは、苦しんだ分だけバネのようにエネルギーを与えてくれた。精神の深いところへ潜っていって文章を書いていると満たされる。

 

 そういうわけで、自分が救われてきたように作品を介して人々との関係を結ぶことが、僕にとっての生の意味になるに違いない。もしもあなたが僕の作品を少しでも気に入ってくれたなら、それはとても素晴らしいことだと思う……。

 

 

 精神の病による日常生活に支障をきたす諸々の症状や、裏切りや敗北といったさまざまの屈辱といった運命のお茶目に遭いながらもなんだかんだやって来ることができたのは、作品を通した先人との関係という、ある種のご加護のお陰だと信じることにしている。少なくとも、そういうところから出てきた語り手として、いまこういう文章を書いているつもりなんだ。

 

 生きるのは大変で、その大変さは得られるものと比べると割に合わないものだと思っている。諦めずに生に食らい付いていることが人間の希望だと思っている。

 

 

「生きたいと思う心が欠如している程度では、残念ながら、死にたいと思うには不十分だ。」

――M.ウエルベック『プラットフォーム』

 

 

 そうかもしれない、気どりではなく本気で、僕は自分が自分をだましているのか、正気なのかも、もうわからないでいる。こうして先人たちを引用するのも冒涜ととられるかもしれない。だけど、先人たちの文章はたしかに僕と関わっているし、それに、必死になっていじくり回すことで壊れた人生を人生たらしめようとしていることを恥じたくはない。

 

 

 こういう混乱の中で意識を保って書いたものが別の人と交わって何かしらを与え与えられるっていうことが僕のわずかな喜びだ。それをたくさん噛みしめたいと思っている。

 

 そういう意味で言えば、同人サークル「抒情歌」を立ち上げて『グラティア』を創刊した理由の一つは、僕を含めたあらゆる苦悩者のためでもある。ほかの創設メンバーにもそれぞれに秘めた目的があるのだろうけど、僕に関して言えば、そういうことになるんじゃないかと思う。

 

 ともあれ、「抒情歌」のメンバーや、周囲の人々の支えをお借りすることでようやく日の当たるところに一葉を晒させてもらうことができた。これには関わったり応援してくださったりした人々にどれだけ感謝しても足りるということがない。