日記02 20170717

 

草稿:7月17日

 

今夜は友人たち(と言うと自分がいちばん年下なので恐縮なのだが)とおしゃべりをして、笑って、とてもいい夜だった。

海外で仕事をしている友人のトマスさん(仮名)夫妻が休暇で帰国していて、何人かで集まって晩御飯を食べた。

おおかたの思い出と同じように、今日がどんな日だったかについての仔細なことはすぐに思い出せなくなってしまうのかもしれないが、今日のことに限って言えば振り返るたびに少しは思い出せるに違いない。

 

テーブルを囲んでみると、初めて出会ったときとは職業、生活様式、恋愛歴、さまざまのことが変化していて、独特の感慨をもたらす眺めがあって、最後に会ってから今日までのあいだに長い時間が流れたように感じられた。お互いに近況の報告や思い出話がやはり盛り上がったけれど、かつてそうだったように最近見た映画や読んだ本の話もなされて、とてもよかった。

 

その席で、トマスさんの奥さんから、「十年後、あなたは何をしていると思うか?」と問いかけられた。この問いかけは、それまでの会話の流れと絡み合って、字面以上の示唆を持っているように僕には感じられた。場の空気や流れを読むことで字面よりずっと意味のある言葉を出せるというのは、とても素敵なことだと思う。そうしたセリフはしばしば、日々のなんでもない出来事を特別な思い出に変えたり、場合によっては考え方やものの見方に大きな影響を与えたりするからだ。

 

 自分のキャリアや半生を振り返るときに思い出されるのは、一部のとくべつ幸福だったり苦しかったりする記憶を除けば人生の節目と呼べるような出来事ばかりだと思う。振り返ったときにあるのは寄り道の跡ではなく歩いてきた道筋だし、その意味で回想はつねに物語の形をとり、それだけに印象的なものごとは色濃く残る。

 その記憶の仕組みを逆手にとって、キャリアや半生といったストーリーについてではなく生活の記憶――なんでもない大切な時間など――を忘れてしまわないための目印を創造する魔術のようにセリフが人の中に残るのなら、自分も十年後までにたくさん撃っておきたいものだと思ったのだった。

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